こんにちは。望月順子です。
今日、一人でイタリアンレストランにランチに行ったのですが、そこで見たことを色々考えてみたので書きますね。
私からよく見える席に、30歳くらいのカップルがいて、女性の容姿はとてもキレイな人。
その女性は、サラダを食べる時に最初からお皿を持ち上げて食べてました。
それを見て「え・・・」って思ったのですが、それからの方が衝撃で・・・
フォークで食べる時って、最後の方食材をお皿の中で追いかけても、なかなか上手く食べられないことってありますよね。
(こういう時はナイフとフォークを使うと最後までキレイに食べられるよ。)
それをお茶漬け食べるみたいにお皿に口をつけて食べているのです。
「・・・・・」ってなった。
お皿を持ち上げて食べる人は時折見かけますよね。
日本では器を持ち上げますから、致し方なし・・・と思うような感じもします。
外国人が和食のお店で、器を置いたままお箸で突っついているのもよく見かけるから、そんな感じでしょうか。
それもそうですし、お皿に口をつけて食べるのはびっくりしたものの・・・「それの何がダメなの?」って立ち止まって考えてみました。
周りに不快な思いをさせているだろうか??
私が不快に感じたか?というとちょっと違う、びっくりしたけど。
でも、「いいじゃないですか、美味しく食べれば!」という感覚でもない。
びっくりしたのは、そのくらいの食べ方くらいは誰でも知っているだろうと思っていて、子供でもない大人の女性が、食べ方を全く知らず堂々と自己流を繰り広げていたことにびっくりした。
知っていてやっているなら、まぁいいと思う。
要は、「知らない」ってことにびっくりしました。
そして、それは辞めた方がいいとも思いました。
なんで?
田舎の小さいレストランで、自己流の食べ方をして、誰に迷惑をかける訳でもないし・・・私は何がひっかかるの?と続けて考える。
そこに持ち合わせていた方がいいであろう、エレガンス が無かったからだ。
マナーなど専門的に勉強しなくても、おそらく「食事のマナー」なんていう言葉は何度も聞いたことがあるはず。
そして、外食する機会などがあれば「これって食べ方あってる?」とか「どうやって食べるの?」とかいう局面に30年も生きていたら当たったことがあると思います。
その都度、「知りたい」という気持ちが湧かず、そういう事を気にしたこともないなら、その人の美意識はどこを向いているのだろう。というのが気になりました。
もう少し自分で考えることができたら、お料理にはそれぞれ食べ方があって、それが生まれた国のことを知ることにも繋がるし、本来どういう食べ方をするのだろう?って考えたりするのがエレガンス だと思います。
サラダやパスタを今更、どうやって食べるのだろう?と考える人はいないと思います。日常よく食べるモノですから、それはもっと若い時に考えることができたらいいですね。
お店への敬意にも繋がるし、一緒に過ごす人への敬意にも繋がります。
食べるというのはとても原始的な行為なので、食べ方によっては不快に感じる人も多くいます。
だから、多くの作法が存在します。
そして、日本では食事は「神事」と捉えますから、作法には厳しい国でもあります。
そして、料理ごとに「食べ方」があって、それを知っていて、実行しているというのは、とても文化的なことです。
とても美しいことだと感じます。
文化が成熟していないと食べ方など存在しませんし、気にしていられません。
歴史や文化を尊重し、現代の生活と融合させ、どのようにしたら美しいか?相手に好感をもってもらえるか?などを臨機応変に考えて実行するのは、とても知的なことです。
もしこういう事に興味がないと、そのまま大人になっても気づかないのだろうか。
ヘアスタイルやメイクを鏡を見て気にするように、「食べ方」も気になるものだと思っていたけど、そうではないのだとしたら・・・。
小学校で教えるべきだと思いますね。
エレガンス はコミュニケーション力だからね。