こんにちは。望月順子です。
よくこういう言葉聞きませんか?
「私が出来たんだから、誰にでもできます!」って。
私はそれを聞くたびに、「あなただから出来たんだよ。誰にでもできる訳じゃないよ。」って思っています。
「私が出来たんだから・・・」っていう人は、だいたい自分がどれだけ出来なかったか、落ちこぼれだったか、素質がないように見えたか、周りよりも劣っていたか・・・
を起源として、そんな私だったのにここまで成功できた、出来るようになったから、誰にでも出来る。という理論なんだと思います。
私は、出来なかったことが出来るようになる。というその振り幅はフォーカスするところではないと思っています。
ポイントは、どれだけ「そう成りたい」と思っていたか。
そこにエネルギーを注いできたか?が、現実をつくったんだと思います。
私が「あなただから出来たんだよ。誰にでも出来る訳じゃないよ。」って思うのは、そこまで「そう成りたい」「出来るようになりたい」と思い続けられる事こそが成功の秘訣だから、その思いをハイレベルでずっとキープさせていられる人はそう居ない。と思ってのことです。
「こんな私でも出来たんだから・・・」という人のことを良く知ると、尋常じゃない時間やエネルギーをその物事に注いでいます。
それは日常のあらゆることに思うのですが、全く同じ人はいないのだから、同じことでも同じように出来る人はいない。
先日話していた人が「成るべくして成るんだねぇ」と言いながら、知り合いの話をしてくれたのですが・・・
所持金15万円を2年だったかな・・・で、65億円にしたんですって。株だけで。
その人は株の売買にしか興味が無くって、ご飯も食べなくてもいいくらい株だけ。
65億の使い道がないそうですが、その使うってことにも興味なくて、ひたすら株ばっかり。
だからまた株買って、また増える。
これと同じ話だと思うのですが、私が習う場合もそうだし、私が教える場合もそうなのですが、注ぐエネルギーが違うから同じようにはならないんだなと思います。
例えば、私はメイクとか化粧品が好きだから、メイクレッスンなどもしているけど、こういう事をよく耳にします。
「以前オススメされた下地を買おうかなって思っているんですが、今使っているのがまだ残っているのでまだ買っていません。」
別にいい話でも悪い話でもなんでもないのですが、私としては信じられない話です。
自分が綺麗になれるかも知れない情報を持っておきながら、すぐにそれを実行していないなんて・・・。
そういう話を耳にするたびに、自分が伝えていると思っているのは自己満足であって、受け取る人はまたその人の価値観で取捨選択するから、ほとんど伝わってないんだなと思うことがあります。
「伝える」と「受け取る」と「伝わった」は別ものと考える必要がありますね。
伝えたことと違う形で伝わることもあしますし、伝わってないからといってそこをコントロールするのはちょっと違います。
伝えると受け取るは別物です。
要するに、伝える側ほどの興味を受け手側は持っていないってことだと思います。
そりゃそうですよね。同じくらい興味があればそれを仕事にするくらいにはなります。
私が受け手になる場合も同じです。
「望月さん、砂糖を抜けばだいぶ体は引き締まりますよ」なんて言われても、頭の片隅においているだけで、実行はしませんからね。それも言ってくれた人には信じられない話でしょう。
「私が砂糖を抜くことが出来たんだから、誰にでもできます!」なんて言われても、痩せたいけど、食べたい人には伝わらないのです。
だから、どこまでエネルギーを注げるかがポイントなんだと思います。
こういうことを経済用語では「トレードオフ」といいます。
何かを得るには何かを犠牲にする。
「犠牲」と言っている時点で、ダメですね。
前述の、15万円を65億円にした人は、ご飯を食べないこと、楽しまないことは犠牲ではないんですよ。
でも、結果だけを欲しい人は、犠牲を払おうとします。
私はスキンケアの化粧品類が結構好きで、朝も夜も顔に何十分も何か塗ったりしている訳ですが、その何十分は犠牲にしている訳ではないし、高価な化粧品を買うのも犠牲だとは思っていない。
「楽しみ」なんですよね。
65億円の人も、ご飯を食べる時間よりも株のことを考えていることは喜びでしかないのだと思う。
成りたい自分になるには、それが出来ている人、もう成っている人の「行動」だけを見がちだけど、行動の前の思考、もっと前のその人の本質みたいな物を見ないと、「行動」だけではちぐはぐになるしすぐに脱落する。
例えば、すごく綺麗な人に「化粧品、何使っているんですか?」て聞いてマネするというのはよくあるでしょう。
それは一つの方法として効果的なんですが、「ひとつの方法」として聞いているのだと認識することが大切だと思います。
同じものを使えば、同じようになる訳ではない。
化粧品の選択基準や、綺麗になるために意識していることなど、さらにはどのくらいその事に意識を向けて生きているのか?が分かると同じようにはならないことはよく分かる。
この記事「老けて見える要因のひとつ『髪のパサつき』について」でも書いたのですが・・・
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何でもそうなのですが、すごくキレイな人に聞くと自分と「常識」が全然違うことに気づきます。
常識が違うので、すぐに全部はマネできないのですが、出来そうなことを取り入れてみたりすると、少し前進しますし違う世界があることに気づきます。
そこからまた次の一歩を考えてもいいですしね。
プロのモデルさんの日常などを聞くと、全くもってマネできないというか、「それは人間として楽しいのですか?」と聞きたくなるような感じですが、それが差なんだと解ると違いにも納得できるというものかも知れません
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「常識」というのが意識とか物事に注ぐエネルギーということです。
「こうなりたいな」「この人みたいになりたい」と思ったら、「意識」ごとダウンロードする必要がある。
どんな感覚で、何を考えて、どういう行動をしているのか?
最後の「行動」だけを同じにしても、しんどくて続かない。
逆に「意識」をダウンロードできたら、行動は別ものになってもいいと思います。
そして、「この人みたいになりたい」と思うのも、成れたとしてもそれも自分の一部に過ぎない。
自分は自分の世界があるからね。
「成るべくして成る」は誰にでも当てはまると思います。
自分にしか出来ないことだらけ。
ということで、ここに繋がったよ
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