こんにちは。望月順子です。
昨日の講座を受講してくださった方には、明日にはお写真とともにメールをお送りします。しばらくお待ちくださいませ。
最近、お店でも割り箸が少なくなってきました。
私は割り箸が好きです。
割り箸じゃないお店なら「割り箸ください」と言います。
外食店で使い回しのお箸は、食べる気なくします。
でも、高級店なんかでもそんなお店が増えてきています。
さすがに和食のお店はないかも知れません。
3年前のメルマガを転載します。
2015年12月18日配信分
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今日は、「お箸」のことついて書いてみます。
街中にある飲食店も最近は、お箸が「割り箸」でないことが当たり前のようになってきたように感じます。
違和感を感じる人は多いのではないでしょうか・・・。
私は、「割り箸にしてほしい」と思っています。
この違和感は、「お箸を使い回し・・・?」というものです。
今は、慣れてしまったかも知れませんが、そういう感覚を持っている方は多いでしょう。
お皿の使い回しは、特に何とも思いませんが、お箸となるとちょっと心がザワつく感じです。
お箸を食事に使う国はたくさんあります。
中国でも韓国でもシンガポールでも・・・
お箸は使い回しです。
日本はどうでしょう?
自宅で使うお箸は、誰のものか決まっていますね。
フォークやナイフは誰のものか決まっていなくても、お箸は決まっています。
これは日本独特のお箸への考え方があります。
何度かこのメールやブログにも書いていますが、お箸はもともとは神事に使われるものです。
そして、使う人の魂が宿ると考えられています。
食事も神事のひとつです。
朝ごはんを朝餉(あさげ)、昼ごはんを昼餉(ひるげ)、夜ご飯を夕餉(ゆうげ)と言います。
朝餉は「朝気」と考えられてきました。
朝の気を自分に取り込みます。
「気」です。エネルギーです。
食物は命そのものですから、食事は生きることそのものです。
その「生命の気」を取り込む為の道具ですから、とても神聖なものだとされてきました。
お箸は自分の命をつなぐためのもの。
箸先には神が宿るとも考えられてきました。
また、お箸を使う国でも日本だけは、お箸を横向きに置きます。
その他の国は、縦に置きます。
日本ではお箸は「結界」の役割をしています。
向こう側(食べ物)と自分の結界です。
食事を神だと考えていることが、このことからもよく分かります。
結界というのは神の世界と人間の世界の境目です。
神社に行くと、しめ縄に白いピラピラした紙がなびいています。
あれが結界です。
ご祝儀袋など、お金を入れる袋が必ず白いのも結界の役割です。
日本人の「生死感」が表す文化でもあります。
お箸のタブーなどもありますね。
「迷い箸」「涙箸」「ねぶり箸」など・・・
それも、お箸に対してのものすごい特別感を感じますね。
食事は神事なのですね。
つまり、神様のエネルギーを取り込むためのお箸が使い回しなのは、日本人としての自分が、違和感を感じているのだと思います。
自分のルーツでもあります。
※ここでいう「神」というのは一神教の「ゴッド」とは違います。日本古来の「自然崇拝」のことです。