こんにちは。望月順子です。
昨日の続き。
いただいたメールより
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私の人生のテーマは「美しく生きる」ということです。
美しく生きると決めることで
自分に自信を持つことが出来ますし
自分を素敵に見せてくれる装いは
自信をつけてくれると同時に
自分の内面を表現するものであり
内側と外側のイメージを一致させることで、それが更なる自信に繋がると感じています。
思考と行動を一致させることもまた
課題ではありますが
行動するにおいても
その行動は美しいか美しくないか?
と自問自答しています。
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「美しさ」ってどこから感じるのか?
どこをどうしたら美しくなるのか?
って、考えると「こうです」というものは無いと思うのですが、以前配信したメルマガにちょうどいいことを書いていましたので、今日はそれを転載します
2018年5月18日配信の一部
【美しいってこういうことかな・・・】
「美しい」って何?
と考えると、ハッキリとした定義はありませんよね。
だから、「美しくなりたい」といっても、方法は人それぞれで、またその時の興味の矛先によっても変わってくるのだろうと思います。
「美しくなる(する)」ってこういうことだな。
って、少し解ったことがあるので、今日はそのことについて書いてみます。
「美しい」と「綺麗」はなんとなく違うのはわかりますよね。
「綺麗」は表面的な表現ですが、「美しい」はもっと深いことを言っています。
どこか精神性を感じるような時に「美しい」と表現することが多いのではないでしょうか。
例えば、皇后陛下のことを「綺麗な人」というのは、少し違和感がありますが、「美しい人」と表現するとしっくりくるようなそんな感じです。
オードリーヘップバーンの晩年の姿も、「綺麗」ではなくて「美しい」となるように感じます。
男性にはあまり「綺麗」は使いませんが、「美しい」は使います。
男性に「美しい」を使うときは、それこそ性格とか精神性のことをいうことが多そうです。
物でも、「綺麗な物」と「美しい物」は違います。
そんな感じで、美しさには何か内面や背景や精神性などを感じる場合に使うことが多いように思います。
ですので、「美しい人」や「美しい暮らし」「美しい仕事の仕方」・・・などなど
を、精神性をもって追求していくことが、そうなることなんだなって思います。
その精神性を感じる美意識ですが、美意識はふんだんに使っている人と、あまり使っていない人がいると思います。
企業もそうだと思います。
みんな美意識をもっているし、美しさも解るけど、それ以外の何かを優先した時に、美しくなくなるのかもしれないとも感じます。
美しい田畑が広がる土地に、レンタル倉庫のコンテナなどを設置するのは、誰の美意識も使われてないでしょう・・・。
きっと設置する人も、美しいかどうかを考えたら、美しくないのは解るはず。
でも、それ以上に優先することがあるから、景観は損なわれていくように思います。
では、私たちが日常どんな美意識を持てばいいのかというと、簡単にいってしまえば、「常に、美を正解にすること」だと思います。
自分の興味があることについては、美意識をもっている人は多いと思います。
例えば、洋服に興味のある人だったら、服は美意識をもって選ぶでしょうし、食器や器に興味のある人、インテリアに興味のある人など、その分野では美意識は常にオンの状態だと思います。
事務職の人でもベテランになってくると、自分なりの美意識が反映された事務をされます。
興味のないことや、しなければいけないこと、言動などにも美意識を持つことで、きっと精神性を感じる美しさは出てくるのだと思います。
そして、それは私はまだ理解できませんが「無私の美」と言われるのかもしれません。
「我」が見えると、美しくなくなるようです。
料理研究家の辰巳芳子氏によると、鍋の中の景色が美しいと、美味しくなるのだそうです。
そして、「野菜は切るべきようにして切る、扱うべきように扱う」道具も同じだそうです。
私はこの言葉で「美意識」について、ちょっと解ったように感じました。
日常の全てにおいて、「そうすべきようにすること」を意識すると自ずとそこに心が入り、精神性が宿り、美しいものに仕上がるように思います。
辰巳芳子のことば 美といのちのために 1,512円 Amazon |
私は最近、よく縫い物をしますが、ひと針ひと針を、刺すべきところに刺し、見た目が綺麗になるように注意しながら縫うと、当たり前ですがそれ以外の箇所とは雲泥の差の美しい縫い目になります。
そしたら、縫い目が威厳を放っているように感じるのですよね。
こうして縫った服には、きっとそれなりのオーラがでるに違いない・・・と思うのです。
仕上がると見えない箇所でもそうします。
「見えないから適当でいいんじゃなくて、見えないからこそ丁寧に・・・」
っていう言葉があるかどうか知りませんが、よく聞くようなことですよね。
コレの意味が解ったような気がしました。
熟練の職人さんが作った物が美しいと感じるのは、そういう精神性が宿るのだと思います。
これを毎日していると、きっと見えないものが見えるようになるんだと感じました。
美術品の鑑定をする人は、本物と贋作の違いをそういうオーラでも感じ取ったりするのでしょう。
経験値で得る、感覚です。
そういうことで、美意識って全てにおいて追求すると、全てが美しいものに昇華するんじゃないかと思います。
料理の仕方、食べ方、座る姿勢、歩き方、服選び、持ち物の手入れ、メールの打ち方、文章、表情、言葉遣い、
メイクの仕方、洗濯の仕方、鍵の閉め方・・・
きっと、神々しいくらい美しい人は、これら全部において美意識を持っていると思います。
そうすることで、あらゆる場面において美意識の込められた物とそうでない物の違いが分かるようになってくるのだと感じます。
物を選ぶときも美しいものを選びたいです。
もちろん自分が身につけるものも。
ジェルネイルってあるでしょう?
キラキラしてとても綺麗な爪になります。
私はジェルネイルを見て、「綺麗」だと思うけど「美しい」とは思いません。
マニキュアは美しさを宿すときがあります。
その理由も、自分でマニキュアを塗るとすぐに剥げてきますよね。
なのに、丁寧にぬる・・・そこに美意識を感じるのかもしれません。
もしかしたら、ジェルネイルは人工的が過ぎるように感じるのかもしれません。
美しいものは「自然」に近いものだからです。
洗練は、それを芸術に昇華させたようなものだと思っています。
だから「美しい」と「洗練」もまた違うのですよね。
美しいは精神性、洗練は芸術性でしょうか。
自分でマニキュアを塗って綺麗に保つってなかなか大変です。
だから、ジェルネイルも大ありだと思います。
派手派手にならないように注意したいです。
(私も以前派手派手ネイルでしたし、今はズボラで塗っていないことが多いです)
審美眼を養うのは、日常の中で十分養えるような気がします。
そして最近、
「美しさ」の理由と作り方が明確に解りました!
「こういうことかな?」と思ったことがあります。
マナーや礼儀作法で「一回一動作」を基本として教わります。
美しい立ち居振る舞いの基本です。
ながら動作はせず、一度にひとつのことだけを集中してすると、間違いなく粗相もなくなるということです。
これは、「神事」なんだろうと思いました。
一回一動作って本当に理解してしている人ってあまりいません。
私もしてません。
動作だけじゃないんですよね。きっとそう。
「我をなくす」ことなんです!
絶対そういうことだと思いました。
「一回一動作」って「瞑想」のことなんです。
きっと。
そう考えると全てがつながりました。
「瞑想」のなんたるかはよく知りませんが、我を排除して、目の前のことだけに集中する。「今を生きる」ってヤツです!
ここに精神性が宿り、美しく見えるんだと思います。
お坊さんの修行はずっとコレをやっているんでしょう?
この意識で掃除や料理をされるんだと思います。
きっと他の宗教も同じだと思います。
知らんけど・・・
宗教じゃなくても同じです。
アスリートが輝いて見える理由、好きなことに集中している人が輝いている理由・・・全部同じです。
「一回一動作」と同じなんだって思います。
書道、茶道、華道、剣道・・・これらも、全部この境地にいくための鍛錬でしょう?
メルマガ内に書いたこれらを、全てこの意識でします。
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美意識って全てにおいて追求すると、全てが美しいものに昇華するんじゃないかと思います。
料理の仕方、食べ方、座る姿勢、歩き方、服選び、持ち物の手入れ、メールの打ち方、文章、表情、言葉遣い、
メイクの仕方、洗濯の仕方、鍵の閉め方・・・
きっと、神々しいくらい美しい人は、これら全部において美意識を持っていると思います。
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「目の前のことに集中=我をなくす=神(宇宙)と繋がる=宇宙(自分の根源)と繋がる=光る」こんな感じ?
(細胞などが活性化するのかも知れない)
このメカニズムだと思いました。
「美しさ」の作り方が解った。
私としてはクリアになったつもりですが、どうでしょうか?
ちなみに、私はいつだって意識は散らかっております