こんにちは。望月順子です。
受講生の方からのメッセージがとても響いたので、ご紹介させていただきます
ファッションって何なんだろう。
私にとって服はワクワク、元気をもらうもの、かつ守ってくれるものでした。
といっても何でも好きなものを着ていたわけではなく、社会的立場や年齢を考えてどこかで規制もしていました。
一年位前から徐々にもっと他者の視線から自分のファッションを見直すようになって、親しまれ信頼されるを目標にスタイルを変えようと決心し、実際変えてきたのですが、そうすると今度はつまらないと感じるようになったことに気づきました。
キャサリン妃はとてもお美しいです。
ファションもすばらしい。
でもとても退屈です。
趣味が違うからではないのです。
なぜなのだろうと考えてみると、彼女に自由はないからなのだと思いあたりました。
内面が変われば似合うものも変わると望月先生がおっしゃたこと、妙を得ていると思います。
結局私達にとってファッションは自分自身の内面を探り、作り上げ、磨き上げることではないでしょうか。
掘り下げていくためには他者の目から自由になることが必要だと思います。
なぜならファッションは自分による、自分探し、自分作りだからです。
もちろん他人を無視していいというわけではありませんけど、キャサリン妃になっていては進歩はないと思います。
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キャサリン妃はとてもお美しいです。
ファションもすばらしい。
でもとても退屈です。
趣味が違うからではないのです。
なぜなのだろうと考えてみると、彼女に自由はないからなのだと思いあたりました。
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キャサリン妃は退屈。
なんとキャッチーな言葉!と思いましたが、納得しました。
きっとキャサリン妃ご自身は退屈ではないと思いますが、見ている側の気持ちを乗せるとそういう風に見えるということですよね。
(紀子妃殿下と似ているような感じがします。ファッションスタイルが自由な人が見ると退屈そうに見えるけど、きっとご自身は退屈ではなく能動的。ファッションと外見がマッチしているから)
私たち一般人はファッションに関しては自由度が高いですから、そこに思想が表れやすいと感じます。
ファッションや行動に自由度が少ない方々見て感じること、また反対に自由な人を見て感じること、自由なのに自分で枠を設けている人・・・
私は比較的、きちんとしたファッションが好きな方です。
結局似合うファッションが限られているから、そこに収まるような物が好きだということかも知れません。
街並みなども同じ。
東京だと、私は中央区か千代田区が好き。
住みたい街は紀尾井町。
堅い感じが好き。
オシャレな感じの青山とか六本木とかは落ち着かないから、必要ない限り近づかない。
銀行や官公庁が立ち並ぶ街が好き。
ファッションもそう。
ベーシックカラー、無地、素材がいいものが好き。
ハイファッションや、カジュアル過ぎるのは苦手。
こういう趣味趣向にファッションがマッチしていないと、ちぐはぐな雰囲気になるのだと思います。
内面は外見に出るといいますから、きっと趣味趣向は顔にも出ているはず。
だから、好みの服を着ていないと顔ともマッチしない。
内面と外見のギャップはそんなに無いのが自然。「ズレ」はストレス。
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他者の視線から自分のファッションを見直すようになって、親しまれ信頼されるを目標にスタイルを変えようと決心し、実際変えてきたのですが、そうすると今度はつまらないと感じるようになったことに気づきました。
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「こういう風に見られたいから」というアプローチ方法で、自分のファッションを構築すると、前述したようなズレが出てくる場合があります。
これは作られたブランディングとも似ています。
私たちのような個人で仕事をする上でブランディングのご相談をいただくこともあります。
どういう見せ方をするのかを考えて、そういう風に見えるように見せる方法がありますが、それは大手企業がすること。
WEB講座でも「なりたい自分」をファッションに落とし込むワークをつけています。
まず、「どんな自分になりたいか」からスタートです。
「どんな自分に見られたいか」だと、ズレることがあります。
「ファッションに興味がある・ない」も、結局ファッションに表れます。
「親しみ・信頼」を目標にする方はとても多いです。
すぐに思いつくのは、「きちんとした格好をする」とかそんな感じじゃないでしょうか。
立場にもよりますが「似合う服を着る」というのが、私は信頼に値すると思います。
堅い職業の方ほど、きちんとしたベーシックな格好をしがちですが、多少職業イメージとズレていても、似合う服はとても信頼に値します。
なぜなら、「似合う服」を分かっているということは、客観的視点を持っているという証明になります。
それでいて適度な流行を取り入れていると、視野の広さや余裕も感じます。
「親しみ」は服でいうと、多少ダサい方が親しみは湧きます。
ファッショナブルな人には萎縮してしまう人は多いのですが、ダサい人は何となく安心できます。
だからといって、ダサくするのは嫌ですから、その部分はファッション以外で補うことの方が大切です。
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結局私達にとってファッションは自分自身の内面を探り、作り上げ、磨き上げることではないでしょうか。
掘り下げていくためには他者の目から自由になることが必要だと思います。
なぜならファッションは自分による、自分探し、自分作りだからです。
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私もそう思います。
結局好きな服を着ればいいと思います。
私のスタンスはいつもこうです。
「好きな服を着ればいいと思います。でもお悩みでしたら相談に乗ります。」
だから、好きな服を着て、全然似合っていなくても悩んでいないならあまりお手伝いできることはないです。
でも、好きな服を着て、似合っていない人はあまりいません。
内面とあっているからでしょうね。
好きな服を着ても、似合っているか分からないとか、似合う服が見つからない、そもそも服選びが好きじゃ無いけど素敵な格好はしていたい。
などなど、色々お悩みがあると思います。
そういう方には、たくさんお伝えしたいことがあります