こんにちは。望月順子です。
1年前の記事に追記して、再度アップします
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1週間前に髪をカットしたのに、昨日もまたカットしました。
1週間前にカットした直後から少し気になるところがあって、すぐに行くと無料でやり直してくれますよね?
それは申し訳ないから少し日にちを空けてから行こうと思ったけど、あまり待つのも自分が我慢できず昨日行って来ました。
やっぱり1週間しか経ってないから「カット代は要りません」と言われたけど、シャンプー&ブロー代は請求された。
カットの為のシャンプーとブローなのに、それは請求するんだな・・・。
払うのはもちろんいいけど、どういう理屈になっているんだろう?と不思議に思いました
それと、美容室に行くのって面倒じゃないですか?
私はすごく面倒に感じます。
重い腰を上げて行くような感じです。
いつもは3週間に一回くらいですが、それが中1週間だともう面倒で面倒で、どこかに出かけてその帰りに美容室に寄るのならまだマシなのですが、今はそういうことはなく、わざわざ美容室に行く訳です。徒歩20秒くらいのお店ですが。
楽しい場所ではありませんが、行かない訳にはいきませんから、いつもギリギリまで我慢してから行きます。
昨日なんて、面倒だと思う気持ちと、ヘアスタイルが気になる気持ちとが五分五分くらいで、ずっと悩んでいたら、その悩んでいる時間がとても勿体無い時間に思えて、どうしていいか分からなかったから、紙に気持ちを書き出してどうしたら気持ちが落ち着くかを自己分析などしていました
面倒がって自宅にいても、髪のことは気になり続ける訳だから、早く行こう!という結論になりました。
同じような感じで、実はメイクするのも面倒なんですよね・・・。面倒くさがりなんです。
でも、やっぱりメイクをした時と、すっぴんの時とでは、心持ちが違いますよね。
でもそのプロセスが面倒なんですよね・・・。
もしかしたら「こうなりたい」「こんな自分になりたい」「こんな気分で過ごしたい」と思っているのにそうでないとしたら、そこへ行くまでのプロセスを面倒に思っていませんか?
私はメイクするのはとても好きなのですが、でも面倒だとはずっと思っています。
メイクするプロセスが好きなのではなくて、メイクアップ効果を実感するのが好きなのだと思います。
だから、プロセスは分かりきったことや同じことを繰り返しするのは好きではなく、新しいコスメを使うとか技法を使うなどで、新しいメイクアップ効果を生み出すのが楽しいので、そういう意味でのプロセスは好きです。
一般的な解りやすい例でいうと、ダイエットでしょう。
運動すればいいと分かっているけど、面倒。
食べない方がいいと分かっているけど、食べたい。など。
こういうのは「痛みと快楽の法則」とも言われますが、人の行動は痛みを避けるためか、快楽を得るためかどちらかと言われています。
この「痛みと快楽」が拮抗している時に悩む訳ですが、悩んでいる場合は考えが煮詰まっているとも言えると思います。
私の美容室に行きたいけど、面倒というのはちょうどそんな感じで、もうどちらかに決められる寸前です。
でも、自分では気づいていないことも多いはず。
例えば漠然とですが、「キレイになりたい」と思っていても、何も行動しない、もしくは効果的な行動をしない人は多いです。
何をしていいのか分からないという人もいるかも知れません。
この場合は「面倒」ではなくて、失敗するかも知れないとかそういう「痛み」を避けているままの状態の人もいると思います。
例えば、メイクレッスンとかファッションのレッスンとか、そういうのを受けても「元が取れないかも知れない」「変わらないかも知れない」と思って行動しない人は多いと感じます。
金銭的な支出を痛みと捉えている場合もあるし、その為の時間を捻出することや、練習したりする労力を痛みと捉えている場合もあるでしょう。
何かの講座やレッスンを受けても、実際に変わらないかも知れないです。
だからといって、元が取れないことは無いと感じています。
「やってみたけど難しい」とか「うまくできなかった」とか「この方法は私には合わない」とか「この先生の理論は好きじゃない」とか「こういう教え方は嫌だ」とか「もっとこういう事を知りたい」とか、そんな発見があるからです。
それは次のステップを見つけていることになるので、絶対に何かを得ています。
私もどこかで仕入れてきた情報を売っている訳ではなくて、メイクは25年の時間をかけて集めた情報を自分で実験して分析し、ここ10年は人にメイクをしてきたのでその都度個別の悩みにも対応し、引き出しを増やしてきました。
メイク道具にお金もたくさんかけてきました。
だから同じ情報をお客さまが独自で得るには、ほぼ「無理」と言えると思います。
化粧品や服なども買ってみてやっぱり要らなかったという経験をすると、そこから学ぶものがあって、次の経験に生かされます。
その「失敗」と言われるものを、避ける訳にはいかないように思います。
なるべく避けられるように事前情報を買うことは出来ますよね
何でも「投資」と捉えるか「消費」と捉えるかで、違ってくるように思います。
「投資」はリターンを目的にしてますので、投資と捉えるには、失敗の要因は何だったか?とよく考えることで、何の情報をもとに、何が得られると思って、どう判断したのか?を振り返ってみるとどこが見誤っていたのかが判明します。
そしたら、今度からはそこに気をつけて情報を取捨選択することができます。
そしてリターンに繋げていきます。
というか、勝手に繋がっていくように思います。
なぜなら、「投機(ギャンブル)」ではないので、行きたい方向に向かう途中で失敗している訳ですから、向かっている方向には進んでいますよね
でもそれをしなくても、ただの消費にはならないと思います。
その経験は残りますので、分析できていなくても体感が蓄積されていきます。
私は化粧品や服はそっちの方が多かったと思います。
自分で服や化粧品を買うようになってから、手当たり次第欲しいと思ったもので買えるものは何でも買うというような買い方をしていましたが、何度も期待していた物とは違うことはありました。
そしたら、だんだん経験則で見ただけでわかることが多くなってきました。
でもこれはただ「情報」を蓄積していっている感じなので、それが溢れるまで気づかないことが多いように思います。
要らなかったと思っていた経験が、数年後、数十年後になって役立つこともあります。
「投資」はリターンを期待してするものですが、そのリターンが思っていたものではないこともあります。
その時に、「失敗」として片付けてしまいがちで、それがもったいないことなんだと最近思います。
必ず何かしらの情報が入ってきます。
株式投資などはリターンを求めてしますが、この場合は分かりやすく、リターンは目標としてる期間に株価が期待値までが上がる事ですよね。
そこまで上がらなかったら失敗です。
この時に本当にそのリターンを追求している人は、なぜ目標株価まで上がらなかったのか?どこの分析を誤ったのか?見落としていたのか?を見て、次に生かします。
その情報、経験がリターンなんだな・・・って思います。
でも、あらゆる投資でこの分析をしない場合が結構多いのではないかと思います。
私もしない事が多かったです。
分析をしないのは「手っ取り早く、リターンだけが欲しい」場合だったな・・・って思います。
言い換えると、「正解が欲しい場合」と言えるかもしれません。
手っ取り早くリターンだけが欲しい場合は、その手段には興味がなく、結果だけが欲しいということですから、それは投資ではなくて「投機」だと最近思いました!
「投資」には必ずリターンがあるので、リターンが期待しているモノでなかった場合でも(一般的には失敗と言われる場合)それを享受したいか??が大切だと思っています。
だから、「好きなことをする」のが上手くいくと言われるのだと思います
好きでもないことをすると、そのリターンが思ったようなモノで無かった場合に、分析することをしませんし、興味がないといい分析ができません。
ファッションやメイクなどの自分磨きも、逐一リターンがあるので、それが「痛み」の場合もあるのですが、それを糧にできているか、それとも「失敗だった」で終わらせているか?で、次の行動が変わってくるんだな・・・と感じています
「損得勘定」か「純粋な思い」かの違いとも言えます。